2017/09/29

幼児返りの姿を通し改めて受け入れる大切さを学び気づいたこと

ブログのなかで少しふれている愛娘らの幼児返り。

6年生になったこっこは、いろいろな面で意欲的に挑戦し、少しずつ成長しております。
幼児返りや行き渋りも、少しずつ落ちついてきました。

その反面、ふたりの傾向性が入れ替わるように、4年生になってからのだーこは、しつこい甘えかたの幼児返り、学校へは強く行き渋るのが目立つようになりました。

苦悩しながら、あらためて子育ての大切さを感じています。
日々のなかでそう感じつつ、やっと気づけたこと、どう対処しているのかを、お話したいと思います。

幼児返りとはなに?調べても求める答えがヒットせず単語をかえてみる

3年生までのだーこは、たまに行き渋ることはあったものの、比較的に今よりは元気に学校に行っていました。

4年生になってまもなく、

・しつこい甘えかたの幼児返り

・精神面の不安定

・意欲の低下、学校など強く行き渋る

などで、過剰に手がかかるようになりました。特に、目立ったこの3つの様子などを述べたいと思います。

しつこい甘えかたの幼児返り

家では、今まで自主的にできたことを『できない。ママがしてよ』とか、なにかにつけ『ママ~♡』と言い私にベッタリな状態。

家と学校の区別がなくなり甘える様子。

学校では、別室(通級のような支援教室)まで送っていくけれど、後追いしたり帰らせてくれない。
酷いときは、感情的になり『ママとだーこ以外いなくなればいい!』と暴れる。

精神面の不安定

家では、つねにイライラして攻撃的な態度をとる。
学校では普通に過ごしているけれど、先生の問いかけに気づかないほどテンションが高いことがある。

意欲の低下、学校など強く行き渋る

読んで字のごとくです^^;
学校以外でも、歌やダンスが好きで、自分がやりたいとはじめた合唱団の練習、ダンスの練習の参加を渋る。

と、このような感じです。

そして、娘らの幼児返りがあらわれるのは同時であったり、こっこが落ち着くとだーこが…、と交互にあらわれたりで、ホント気が休まることなく、ときが流れている感じでした。

だから、つねに私はエンドレスな葛藤に、イライラする状態だったのです。

そのようなことから、そもそも、「幼児返り」とは何なの?と検索してみることにしました。

ところが、幼児返りという単語の情報では「これかも♪」と、だーこにみられるケースに酷似したものはなく、求める答えはヒットせず・・。

以前、教育支援の先生から「幼児退行」とのことばを聞いたのを思いだし調べてみましたが、これ!という情報がヒットしません・・。

そこで、単語を「赤ちゃんがえり」にかえてみたら、こちらのe-いくじ
というサイトに、とてもわかりやすく解説されていました。

一部分を引用させてもらうと、

赤ちゃん返りとは、今まで出来ていたことを出来ないと主張したり、怖がったりする行為です。
特に卒乳、妹や弟の出現で自立の1歩を踏み出す年齢によくみられます。
本人の意思や主張が強くなり、母親に対して自身の存在をアピールするようになります。

e-いくじサイトは乳幼児の内容でしたが、だーこ(以下、こっこも含めて)にも当てはまるところがあったので、抜粋して箇条書きすると、

・今まで出来ていたことを出来ないと主張したり、怖がったりする行為

・本人の意思や主張が強くなり、母親に対して自身の存在をアピールするようになる

この2つは、まさにだーこの「あるある!」です。
かなりスッキリ感をえましたが、まだモヤモヤ感が残っています。

1つまえの検索したサイトに戻り、幼児退行でヒットした、「ピクシブ百科事典」というサイトに「幼児退行とは」と情報があるのをみつけました。

文章からすると、大人の幼児退行の内容でしたが、サイトの概要に、だーこに当てはまるとこがあったので抜粋すると、

現状打開ができず耐え難い状況に陥った場合、「現実逃避という防衛機能」として子供に戻ろうとして起こるとも言われる。
【引用:ピクシブ百科事典】

引用文にある「子供に戻ろう」のところが、だーこでいうなら、「幼児に」戻ろうとして起こっているとのことです。

「これだ!」と思う答え的には、やっとスッキリしました。
ところが、頭では理解できても私自身、心で理解できずしっくりしません・・。

どうしても心から理解して、母子ともに穏やかさを取り戻したい!!と思わずにいられませんでした。

幼児返りが起こる原因は?

以前に、発達外来のほうで、ナゼ幼児返りが起こるのかを聞いたのですが、説明がぼんやりしたままでいました。
ここはもう一歩ふみこんで聞くしかない!と思いを定め、通っている発達外来でふたたび、聞いてみることにしました。

そのころ、母子ともにとても苦しかったので、学校へ送ったときと家庭での様子、

・個別教室へ送り、帰ろうとする私をひき留める

・後追いをするなどの表現が目立つ

これら2つを尋ねると、「なにか強い不安があるのだろうね」との回答でした。
それを聞いて、私がストレスがMAX状態だったときに、教育支援の先生も同じようなことを仰っていたっけ・・と思いだしました。

そして、だーこの強い不安とは…と、私はその不安について思いあたることを伝えました。
先生から、「彼女にとっては、無意識に幼児返りをすることで、不安な気持ちが和らぐのだろうね」と言われて腑に落ちました。

だーこ自身はみた感じは、明るくて活発、いつも騒がしいという感じの子です。
けれど、実際は表にあらわれていないだけで、精神面で不安を抱えていのだと、先生の話す内容でわかりました。

後日、だーこ自身に『何か不安になることってある?』と何気に聞くと、本人も何が不安かがわからないようでした。

いずれにしても、なにかしらの不安が原因であるのなら、だーこの複雑な心境を、親である私が、しっかりと受けとめなければと強く思ったのです。

思い起こせば、先生やだーこの話を聞くまでの私は、うわべだけでだーこの言動を捉えイライラし、悶々としていたこと。
そして、こっこのときも然りだったな…と。

私自身は、娘らに向き合っていたはずが、いつしか自分を見失っていたこと。

つねに精神的なゆとりがないと嘆き、だーこらの気持ちや不安を汲みとろうとせず、自分本位いだったことに気づきました。

頭だけでの理解にとどまり、先生から原因を聞いたことで、やっと点と点が線で繋がったように感じました。

母の想いと一言で私が変われたように同じ想いで受け入れ対処

そして、どのように対処したことで、だーこに変化があらわれたのか?
それは、少しだけズレますが…

私は、20代後半まで精神年齢が幼く年相応ではありませでした。
そんなとき、自分自身に行き詰まったことがあり、母に電話で苦しい胸の内を伝えました。

静かに聞いていた母は、『(私が)どのような振るまいや状況であっても、私はおまえを信じている』と言ってくれたのです。

自分自身がイヤでたまらなかった私は、母親の想いとその一言で成長し、乗り越えることができました。

過去にその経緯があったことで、今度は私が「だーこが、どのような振るまい、状況であっても信じよう」との意識をもつようにしました。

すると、私の意識がかわることで、だーこに少しずつ変化があらわれはじめたのです。

まず、笑顔がふえて、イライラが少しずつ和らいでいること。

個別教室へ送ったあと、執拗にひき留めるので、1時間か給食前まで、時間的に可能であれば一緒に居てあげていました。
それが、私の意識がかわっていくのを境に、ひき留めなくなったこと。

その辺りから、好きな教科(図工、音楽)の時間は、みんなと受けるようになったこと。

自分のクラスへ戻ったこと。
けれどここは、まだ不安が残っているのか、だーこの希望で廊下へ机を設置してもらい、そこから授業を受けるまでになったこと。

と、本当に少しずつですが良いほうへ向かってきています。
とても嬉しいかぎりです。

おわりに

だーこに対して、私自身は懸命に向き合っているつもりでした。
そして、信じているつもりで必死になっていたことで、気づかないうちに、自分を見失っていることもわからずにいたのです。

自分本意で、一方的な思いを無理強いしていたのだと…。
私が苦しいよりも、だーこはもっと苦しかったことでしょう…。

このたび、だーこを通して、信じることの大切さを教えられたように思います。

子どもを育てていく過程で、ナゼ?どうして!?というのはつきものだと思います。

その、ナゼ?やどうして!?には、それなりの意味があり、サインだということを、あらためて感じた次第です。